流山ロードレースが始まる何ヶ月も前のこと、藤棚の方たちの宴(※練習会後の常連ご年配方々の呑み会)にお邪魔したところ、熊谷さんが流山ロードレースを走る、それもお孫さんと走る、という話を聞いていました。ロードレース直前に自分も走る、ということが決まり、どう走るのかを考えたところ、前日になって、熊谷さんの伴走ができるなら自分も走り、そして完走をして欲しかったので後ろからでもスタートからゴールまで、と決めました。本人には伝えてなく、スタート直前にお孫さんと一緒に走り出しました。制限時間内に完走することを無理ではないか、という声も聞いていました。わたしは熊谷さんは間違いなくゴールを目指すだろう、そういう思いで一緒に走り出しました。最初の1キロが8分、イーブンでいけば時間内ゴール、2キロ地点で走っていてどこが痛くなるのかと聞いたところ右膝、と。フォームをみても偏ることなくまっすぐ足は接地してるので大丈夫かと、息が上がるせいか途中何度か止まるが、こちらは歩かずに並走、熊谷さんも歩いても30秒息を整えたらまた走り出す、、このままなら行けるはず、本人も自分の手に「ベルク」の地点は何分に通過、、「コミュニティプラザ」の地点は何分に通過、、、と書いてある。5キロを過ぎても変わりナシ、さすが熊谷さんだと。6キロから8キロがたぶんキツくなると思い、その旨を伝えて、気をつけて転ばないように走る、、途中の仲間の応援もあり9キロ地点(あと1キロ)の急坂をあがる、足が上がらなくなってきた、というが9キロの交差点で藤棚の方たち、年配の方たちの大応援、その先は子供達やみんなの応援、お孫さんも最後は必死に声をかける、ゴール手前は両方の沿道にCJの面々が一緒に走る姿、こんな景色は二度とない、印象的なものでした。時間内ゴール、お孫さん3人と熊谷さん、みんなで手を繋いで感動のゴールでした。両方の沿道の面々の目にも涙、相変わらずわたしも涙。子供たちは、「くまじぃじ頑張れ!」と。途中「わかちゃん」が何ヶ所かで応援、このご夫婦は何十年も一緒に歩を進めてきた、みんな無理、と言っていても一番身近にいる人はその可能性は感じていたんじゃないかな。82歳で10キロ完走、みんなの指標になるかわからないけど、間違いなくこの日の姿は語り継がれると思います。この場に居合わせていただき感謝します。みんなはレジェンド、と言いますが、わたしからは普通の熊谷さん、素晴らしい人すぎて目標とかにもならない人、けれど、一緒に少ないけれど感じたレースもあって、よくフルマラソンの最後に喝をいれてくれたり、あるレースではあと11秒でサブスリーだったのに、とこっちが話しても、あれがが精一杯だった、と。我欲を出さずに淡々と走る姿、お酒を飲むとただのおじさん笑、みんなが大好きな熊谷さん。今回一緒に走ってまず感じたことは、往年のフォームと変わらない綺麗な前傾姿勢、上り坂の時は力が入るのがすごくわかるフォーム、マラソンに関してはわたしは素人なのに、隣で熊谷さんに「集中して、」とか「姿勢が起きているよ、」とか、「目線は下、」とか、指導めいたことをしている自分が滑稽でしたが、すごく必死でした。80分って待っていて応援する人にはすごく長い時間、けど、隣で伴走させてもらえて終わってみるとあっという間の80分でした。沿道で応援してくれる人に熊谷さんを見つけて欲しかったので、流山CJの小旗を持って走りました。みんな、熊谷さんを見つけた時は満面の笑顔でした。伴走していてみんなのパッと明るくなった顔がよく見えましたよ。走っている途中、今年完走できたらまた来年だね、と話したところ、もういい(笑)、と言っていました。お孫さんたちに囲まれて、羨ましい光景でした、お孫さんは完走したら何買ってもらおうー、とか、ゴールした時の家族の写真、その傍に必ずいる「わかちゃん」。熊谷さんのことだから、もしかしたら次なる何かを見つけて、また走る姿を見せてくれるような気もしますがね、、。熊谷さん、完走おめでとうございます。